法華会設立の頃


 大正3年(1914)5月に設立した法華会は、本年をもって90年を迎える運びと
なった。当時、東京帝国大学教授であった山田三良を中心に創設された法華会は、法華
経の教義と日蓮聖人の主張を当時の社会に知らしめることを目的に、文筆と言論による
活動を提唱した。さらに僧侶主導による組織の運営を良しとせず、あくまでも在家主導
によって運営することとした。

 この山田三良と法華経・日蓮聖人の出会いは繁子夫人にある。繁子夫人は静岡県伊豆
韮山の江川家の出で、その江川家に伝わる法華経と日蓮聖人遺文に山田三良が接したこ
とをきっかけに、熱心な信仰を寄せることになった。その後、本多日生という法華宗妙
満寺派の僧侶が、日蓮主義を標榜し日蓮門下統一にむけて組織した天晴会に参加してい
くが、山田三良はこの活動に限界を感じるようになっていた。

 そのようなとき、天晴会への講演依頼によって、北海道旭川で講演会をおこなった山
田三良は、講師として同行していた小林一郎、矢野茂とともに、東京に帰る車中におい
て、新しい形による日蓮主義を標榜し精神文化を構築することを話し合い、ここに法華
会が誕生することになった。

 その後この三人が中心となり、山田宅において数回の会合をかさね、次の五項目の協
定をしめして、あたらしい会の基本方針とした。

(一)法華会を組織し、在家側及び寺院側の有志者を会員とすること。
(二)月刊雑誌『法華』を発行すること。
(三)山田三良、矢野茂、小林一郎の三名を幹事とし一切の会務を処理せしめること。
(四)小林一郎を編輯主任とすること。
(五)浅井要麟を庶務主任とすること。

 そして大正3年(1914)5月12日の伊豆法難会を期して、小石川植物園におい
て発会式を挙行し、さらに同日付けで『法華』創刊号を発行し、本格的な活動が展開さ
れることとなった。
 
『法華』創刊号表紙 『法華』創刊号 発刊の辞
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 この
創刊号に記される発刊の辞によると、一昨年の明治天皇崩御を悼み、皇国の前途
を憂え「顧るに、既往50年間に於て、専ら西欧文明の輸入に力を用ひ、専ら物質的方
面の発展に腐心せる我が同胞は、其の多く自覚せざる間に、極めて不健全なる国風民俗
を作り成し以て今日に及べるなり」とし、さらに、この状況を救うためには、正しい信
仰がなければならないとして、日蓮聖人の遺文に言及し「特に、吾人が意を強うすべき
は、身命を惜まずして、斯る宏大なる法華経の教義を宣伝せる日蓮聖人を吾人と同一国
土より出せることなり。漢土に於ける天台大師、本邦における伝教大師は、共に法華経
の真意を攻究し宣伝することに全力を注ぎたりしとは雖も、其の態度は、なお学究的を
離れざりき。日蓮聖人に至りては“日本第一の智者”たるべき覚悟と“一切衆生の苦を
救うべき”慈悲心とよりして一代蔵経を読破して法華経の最勝なる所以を明にし、更に
之が広宣流布すべき最初の国土としては我日本帝国以外世界に、また、国無きことを断
定し、自ら身を以て、之が弘通の魁となれる者なり」とし、法華経の教養と日蓮聖人の
主張とを広宣流布すべく必要性の急務を認めて、ここに法華会を創設したのである。

 なお、左記の二十一名は法華会発起者としてその名前が『法華』創刊号に掲げられて
いる。

 伊東茂右衛門 池田為三郎 西尾吉太郎 西村喜一郎 小原正恒
 川村鉄太郎 吉田珍雄 高島平三郎 辰野金吾 野崎作次郎 黒瀬義門
 熊井正吉 矢野 茂 山田三良 安川繁種 小林一郎 江川英武
 姉崎正治 天野治兵衛 金原明善 宮岡直記


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